チリの借金狂騒曲

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New Internationalist No.392
August 2006 p16-17

 

チリでは多くの人々がGimnasia bancaria(銀行体操)と呼ばれるエクササイズを行い、これが会社の遅刻理由としても認められている。このエクササイズをするとすぐに汗をかくが、それは普通の汗とは異なるものだ。実を言えば、これは銀行口座間の預金を移動させながら返済をやりくりするということを表す言葉だ。銀行やデパートのクレジットカードの普及と共にこのやりくりは人々の間に広がり、そのおかげで実際の収入以上の生活を享受することが可能になっている。

借金は抜け出せないアリ地獄のようなもので永久に続く証文に縛られた奉公のようなものだ。この国では多くの人々がこう考えている。安月給と月々の高額な返済の組み合わせは、ぎりぎりの生活を強いられながら戦々恐々としている労働者たちを増やしている。

中規模のチリの町であればどこにでもあるのが中央広場だが、そこにはATMを備えて武装警備員を配し、仰々しく「開発」「投資」「信託」などといったお決まりの言葉を名前に冠した銀行がいくつか並んでいるのが常だ。そこから車でちょっと走れば、ピカピカに輝くショッピングモールという名の消費の社交場に行き着くことができる。懐に余裕のある国民はわずかしかいないが、ショッピングモールは人々の消費への欲求をかき立てる。

ブランド広告のネオンサインに飾られたビルとスモッグに覆われたこの国の首都サンティアゴは、そんな大騒ぎの中心地である。町の背後にそびえる壮大なアンデスも、シャンプーや携帯電話、銀行や酒・タバコなど林立する広告の影に隠れてしまう。この都市における貧困は以前はみすぼらしいものだったが、今日それはプラスチック製のカードの登場によって変化した。住居や食料だけでなく、携帯電話とテレビが生きていく上での必需品に含まれるようになったのである。このような他人とのつながりを保つための機械は、いまや分割払いで買うことができる。

消費することと社会への参加は同じことだという誤解は容易に起こり、実際そう考えてみたくもなる。もしくは市場が、買い物客に現代性や進歩について考えさせるのではなく、なんとか彼らを疎外感を感じない市民へと変身させるのかもしれない。

地方から出てきたおしゃべり好きな女性ミカエラは、28歳になって初めて電話を所有した。彼女は2台の携帯電話を購入し、1台を自分で使いもう1台を田舎の農場に住む自分の家族へ送った。その後、この携帯電話会社は彼女に固定電話への加入を勧めた。それは彼女にとって不要なものだったし、2台の携帯電話使用料の滞納額もだいぶ膨れ上がっていたが、携帯電話会社はそんなことは気にしていなかった。結局彼女の2台の携帯電話は滞納を理由に止められてしまった。ミカにとって電話とは、社会的、そして文化的に新たなレベルに到達したという強力なシンボルであった。

消費による消耗

ほとんどの人々は、テレビ・広告看板・新聞、そして携帯電話やパソコンへ送られてくる宣伝でよく見られるような生活スタイルを送ることができるほどの収入はない。買物中毒を支えるために頼るのが、どこでも使えるクレジットカードという消費社会のメンバーズカードである。デパートのクレジットカード(そして徐々に増えているデパート経営の銀行のカード)は、通常の銀行系クレジットカードを作れないような低所得の顧客にも発行される。通常チリ人の半分が、買物の支払いをカードで済ませる。

「カードで新たな買物をせずに、食料や家賃など基本的な支払いだけですんだ月はホッとするわ」と、教師として働くマルセラは言う。

こう考えるのはマルセラだけではない。2005年11月、銀行顧客190万人に対する調査を含む報告書を政府が発表した。それによれば、銀行に債務のある人々は、消費者金融に平均で月給の7.5カ月分の借金をしており、月給の20%を毎月返済に充てている。「低所得者層にとっての経済的な負担は非常に重いようだ。特に、住居費、教育費などの支出は可処分所得の大半を占めているようだが、[ローンの返済は]考慮されていない」と報告書は結論付けている。

国民の誰もが借金には不快な思いを抱いている。サンティアゴのあるビジネス・スクールが行った最近の調査によれば、チリの労働者の10人に4人が借金返済に「苦しんでいる」とのことだ。この「苦しむ」には、「心配」というレベルから「絶望」までが含まれている。そして半数の人々は、借金地獄からは抜け出せないだろうと考えている。

そもそも、なぜ浪費をして借金をつくるのだろうか? まず最初に考えなければならないのは、銀行のサービスを大々的に宣伝するキャンペーンを無視できないということだ。最も人気があるテレビCMでは、頭まで借金に漬かった負け組だが魅力的な人物たちが登場し、かわいい子どもたちは父親にプレゼントをねだっている。学生でも容易に金を借りられるサービスがあり、若い未婚者へは「今すぐに!」とより安易な貸し付けを持ちかける広告も見られる。

理由はこれだけではない。多くの人々にとって消費は、何かと結びついているという感覚を満たしてくれるものであり、現代の都市生活者の心を慰めてくれるものである。空虚な感覚を埋めるために買物をする人もいれば、買物によって虚無感を感じる人もいる。

中流の下あたりの人々が住む町で店員をしているマヌエラ・ガジャールは、「他の人々に対する羨望(せんぼう)や優越感がすべてです」と語る。「回りの人々の携帯電話を気にしてそれよりも良い物を持とうとする姿勢には驚かされます」

サンティアゴ中央大学のビジネスサービス研究所のイグナシオ・ララエッシャ所長は、成り上がり者の不安と、経済モデルによって生じた「とてつもない」賃金格差の結果だと説明する。それによれば、全人口のうち、最貧層10%が全収入の2%に満たない額を得て消費している一方で、最富裕層10%が全収入の47%を得ているというのが現状である。

このような統計データは、外から見えるチリの活況の陰に隠れてしまうことが多い。この国は、ラテンアメリカの中でも経済的に先頭を走り流行を作り出し、新自由主義経済政策(自由市場、海外からの資本投資、民営化が君臨する)の成功例として考えられている。健全な財政状況や記録的な銅山収入により、この国の経済は順調に見える。

しかしそこからは、この国の消費者のふところ具合や借金状況をうかがい知ることはできない。

文:レザック・シャラット

 

 


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