ブログから見えてくる
イランの新しい世代

The fourth generation
New Internationalist No.398
March 2007 p17-19

今月のオンラインリポートは、現在の政治・外交状況にかんがみ、当初誌上でご案内していたものを差し替え、イランの国内の雰囲気をより幅広く伝えられる記事に変更いたしました。

イランの人口の3分の2を占めるのは30歳未満の若い人々である。そしてこの国では、ほかの国以上にブログ[訳注:ウェブサイト上で定期的に書き込まれる日記のようなもの]が流行している。そのブログの世界で飛び交う会話と実社会の動きを紹介しながら、ナスリン・アラヴィーがイランの将来を読み解く。

 

あるイラン人のブロガー[訳注:ブログを書く人]は、「ブログが流行るようになってから、公衆便所の落書きが不気味なくらい減っていることに気づいたかい?」と書き込んだ。落書きと違って、イランのブログは制約されることなく国境を越える。イラン人のおよそ5人に1人がインターネットを利用している。またペルシャ語は、ネット上のブログや日記などで使われる言語としては、最も多く使用されている言語のひとつである。

イランのブログスフィア(ブログ圏)の成長と共に、政府はますますこのメディアを締め付ける方向に動いている。ブロガーたちは投獄され、2006年9月には、イランの「1,000万以上のウェッブサイトのフィルタ設定」またはブロック設定が完了したことを、当局は誇らしげに宣言した。

それでもなおインターネットは、自由な発言のための新たな仮想空間を提供している。そこでは多くのイラン人たちが、自分たちの権利のために立ち上がったり、祖国の未来のために意見を表明したりすることを進んで行っている。固い信念を秘めたあるジャーナリストは、刑務所から出所後ブログに次のように書いた:

もともと怠け癖のある私は、ブログもあまりまじめに更新していなかった。しかし刑務所に入ってから思ったのは、新聞、ブログ、ウェブサイト、壁などどこでも構わないからとにかく書いて示さなければならないということだ。

当局は、いわゆる「イスラム・ブロガー」を積極的に盛り立てて反撃を試みる。豪華な授賞式典が開かれ、選ばれたほんのわずかな人々に賞を贈る。バシジ(イスラム共和国の民兵組織)を使って国中をかぎ回り、今では宗教都市コムの神学校でブロガーのためのクラスが開かれている。

このような状況にもかかわらず、毎日の生活のあらゆる部分を支配する宗教システムに対して、ブロガーたちが怒りの声を上げることは可能だ。だが、そのようなブログはすぐに閉鎖されたり妨害を受けたりする。「Fozool」は、そのいらいらを次のように記す:

人々は、アヤトラ[訳注:シーア派の上級法学者]や聖職者はひもやちんぴらと何ら変わらないと考えている。本当にくそくらえだ。

このような発言に対しては、信仰心のあつい人々から反対意見が出てくるはずである。だが実際は、イスラムの名の下にこの国を治める政権への辛らつな意見に対して、しばしば信心深いとされる人々から共感が寄せられる。著名なイスラム教研究者でシーア派の聖職者であるハディ・ガーベルは自身のブログの中で、イランの聖職者がこの国を支配した25年間で、「イスラム教の地位が向上したわけではない。その月日がもたらしたのは、社会における聖職者と宗教の地位の後退である」と述べている。

教育を受けた世代

イランを中心に研究する哲学者ラミン・ジャハンベグローは、イランの若者たちを「第4世代」と呼ぶ。その若者たちは、政治的なイスラム教から遠ざかり、イスラムの伝統とペルシャ文化の歴史を基本とした「イラン的な世俗主義」に移っているという。この世代が、最終的にはイランの将来を左右する世代になるのである。

1979年のイラン革命の時代を生きてきた人々は、現在は人口の半分に満たない。革命後のベビーブームによって、イランの人口は倍増して7,000万人となったが、このうちの65%を越える人々が30歳未満である。識字率は優に90%を越え、これは地方でも変わらない。2005年の大学入学者のうち、女性の割合は65%を越えた。イランのブログ圏から最も力強く発信されているのは、このような教育を受けた若い世代の声である。

1979年11月、革命初期にホメイニーは、「2,000万人の若者を擁する国は2,000万人の銃を持った兵士がいるということだ……そのような国が滅ばされることは絶対にない」と述べた。これは、国家に仕える兵士の育成を念頭に置いた発言だった。しかし今日、西洋のライフスタイルに対する若者たちのあこがれはより一層強くなり、バレンタインデーのようなものまでをも地域イベントとして行っている場所もある。西洋の「文化の侵略」を防ごうとする政権の戦略は裏目に出てしまった。今やイランの若者たちの頭の中は、これまで遠ざけられてきた西洋文化のことでほとんどいっぱいになっている。中堅の職位に就いている聖職者で、改革派のハタミ大統領時代に副大統領を務めたアリ・アブタヒは、イスラム教国であるイランの若いカップルの間で広がるバレンタインデー熱に関して、自身のブログで次のようにコメントしている。そのような風潮には多くの人々がいらいらしているが、「我々は現実を否定することはできない。それにともかく、私の知るイスラム教とは、人生と愛に希望を与えるものなのだ」

イラン人が暴力的な革命と戦争を体験したのは最近のことである。そんな希望の持てない時代が再びやってくることを望む者などいない。イラクとの戦争を行った8年間のむなしさが、彼らの記憶に依然としてこびりついていることは明らかだ。それはつい最近の1988年に終わった戦争なのである。大きな道路から路地まで、数百、数千という道に戦死を遂げた者たちの名前がつけられ、近隣住民の記憶には若いその当時のままの戦死者たちの姿が今でも鮮明に、そして愛情に包まれて残っている。「Shargi」のブログへの書き込みは、このような多くの人々の考えを代弁しているものだろう。「戦争は嫌い。祖国の大地、家、若者から老人までをも踏みにじる解放の兵士なんて嫌いだわ。私は自由が好きなの。本当よ。でも、自分は自分自身の手で自由にしないといけないと思うわ。それは他人にはできないことなのよ」。他のブロガーは、力を見せつける米国の脅威をばかにするようにこう記す。「米国人の地理の勉強になるようにと、神が戦争を与えたのさ」

ブロガー「baba. eparizi」は次のような結論に達した。

最も賢い者ではなく、最も残酷な者が勝者となったとき……その先に待っているのはまぎれもない血塗られた凄惨(せいさん)な苦闘の歴史である。イラン革命幕開け時に残酷な者たちが行った殺りく……暗殺……8年に及ぶ荒廃と戦争……町への空爆……1980年代に起こった受刑者の卑劣な集団殺害……。これらの出来事は、我々の歴史を成すむごたらしい土台である……。しかし今日、このような血塗られた古くからの恨みは新しい世代の記憶から消えつつある……新しい世代は神のために戦うよう生まれてきた……殉教するために生まれた新しい世代は、突然その苦しみと周囲の状況に気づく……そして祖先の終わりなき数々の戦いに思いをはせることもない……。新しい世代は、古いものを打ち壊すように突き進んでいる。

ステレオタイプ

しかし、これまで見てきたようなブロガーが述べている状況(または、実際はこの国を訪れる普通の訪問者でもよく分かるようなこと)と、西洋諸国のイランに関する認識の間には非常に大きなギャップがある。私の近著『We Are Iran』にEmailアドレスを掲載したところ、「イランがそのような国だとは想像もしなかった」とするEmailがよく届くようになった。その種のEmailは喜ばしく心温まるものだ。しかしそこからは、イラン人は国際社会と敵対し、逆上しながら葬列を組んで葬送曲を口にするような群衆であるという辛らつな考えも感じとれる。

怒れるイラン人というイメージは、イランの核関連活動のニュースにぴったりの背景として徐々に多く使われるようになっている。2006年には、ムハンマドの風刺画[訳注1]が問題として持ち上がった後、それに抗議する400人の群衆がテヘランのデンマーク大使館を襲ったが、この報道についても同じことが言える。その群衆には、民兵組織であるバシジが含まれ、ブロガーのサーレハ・メフタもそこに参加していた。その次の日彼は、スリルと喜びの雰囲気に支配されていたその襲撃についてブログに書き、大使館内で撮った気取ったポーズの自分の写真をネット上に公開した。

テヘランの町中では、バシジのメンバーに逆らおうとするのは勇敢か無謀な人間かのどちらかである。しかしこの解放されたサイバースペースでは、2日ほどでサーレハのページに数百の怒りのコメントが寄せられた。例えば次のようなものだ:

私は、あなたの行動に対する嫌悪感を抑えることができない。あなたのような非人間的な連中がいるから、西洋人たちが我々の親愛なる預言者と信仰を侮辱するのだ。

ここに寄せられるコメントを読んでおまえは、「革命の敵が私を攻撃していることを、私は誇りに思うよ」と書いている。だがよく聞けよこの罪深い愚か者……誰が敵だって? ここにコメントを寄せているのは普通の人々だ。それぞれがどう感じたかをおまえに伝えているのだ……おまえと同じ国の人間なのだ!

君らのようなバシジには学習能力がない。君らのようなやからが[政府の]特別枠を通してハエのごとくたくさん大学に入ってきたとしても、操られているのだから賢いとは思えない。デンマーク大使館に放火することによって君は、テヘラン北部の郊外の[裕福な]西洋化された住人たちに真の革命について教え込むと言うが、同胞よ! そこに行った時に目を見開いて見るべきだったな。君の指導者や国の圧制者は……その地域の高い壁に囲まれた家に住んでいるのだ。しかしまた私は君に言いたい。ここに寄せられたメッセージを消さないでほしい。そして、民主主義の原則である言論の自由を擁護してほしい。

イランのイスラム教徒は、ターバンが爆弾になって火のついた導火線が垂れ下がっているテロリストのような格好をした彼らの預言者ムハンマドの絵(作者の外国人嫌いが表れている)にがくぜんとしたに違いない。しかしほとんどの人々は、そのような抗議行動には加わらなかった。しかし西洋の報道では、この400人の屈強な政府の後押しを受けた暴徒を、しかも1,200万人が住むテヘランの一部にすぎないのに、それがまるでイラン全体のムードを示すかのように伝えることとなった。今日、世代の変化が強硬派の存続を脅かしている。最終的にはそれによって、若い人々への譲歩(外国との友好関係とイランのグローバル経済への統合について)を政権が強いられることになるだろう。

政府が擁護するイランのブログ圏の保守的な部分でも不満が増え始めている。それは、貧困層に社会正義をもたらし、石油収入の分配を行うとする大統領が選挙公約がうまくいっていないことに向けられている。自らをヒズボラヒ(神の党のメンバー)と称するブロガーBeheshtiは、アフマディネジャード大統領へそんな不満をぶつけた:

腐敗撲滅のために立ち上がったんだということを、あなた自身が忘れることがないよう私は望んでいます……。あなたを尊敬しているからこそ、現在私はあなたの記者会見を見ないようにしています。記者会見で質問をはぐらかすあなたの姿に耐えられないのです。

アフマディネジャードに真剣に向き合うのは、イラン革命が持つ利他的なうわべの言葉を真に受けた若い理想主義者たちである。このような若者たちは新世代の一員で、殉教よりも真実を求めており、政権にとって最も手ごわい相手となるだろう。

平和の前に立ちはだかる障害

ここ数カ月米国と英国は、イランを「地域の平和に立ちはだかる障害」と非難してより厳しい態度を見せている。イラン近隣のアラブ諸国の若者たちの中には、イスラム国家の名の下に自分たちの国に君臨する独裁者を追い出すことを夢見る者もいるだろう。イラン人はそのような夢に取り組み、成し遂げ、もたらされた影響によって苦しんでいる。ほとんどのアラブ諸国は、熱狂的な人々を生み出す可能性のある自由な選挙には慎重な姿勢である。それにひきかえイラン革命の落とし子たちは、もはや大学内で自由な選挙をすることができなくなった。それは、学生たちが民主主義支持の学生リーダーを選ぶ傾向が近年続いたからである。

2006年12月英国のトニー・ブレア首相は、アラブ首長国連邦(UAE)で行われた選挙の後、UAEの民主主義への歩みをたたえた。しかしその選挙での選挙権を持っていたのは、市民の1%に満たなかった。100年以上前の1906年、憲法に基づいて行われていたイランの政治に終止符を打ったのは欧米の大国である。1950年代には、民主的に選出されたモサデク政権が米国と英国が支援したクーデターによって倒された(NIジャパン2007年3月号p25-26参照)。

リベラルな闘いは私たちの期待通りには進まず、1979年のイラン革命は政治的なイスラム教に混乱をもたらした。イランの現在の最高指導者アリ・ハメネイ師は、「我々は、CIAが追放することができた[サルバドール]アジェンデ[訳注2]やモサデクのようなリベラルとは違う」と述べた。ある意味で彼は正しい。イラン国民が暮らすシステムを変えられるのは、イラン国民だけなのだから。

2006年12月6日、反対派に対する大規模な弾圧にもかかわらず、かなりの数の学生たちがテヘランで行われたイベント「大学はまだ生きている」というイベントに参加した。彼らは、「恐れるものは何もない、捕まえられるものならやってみろ」「独裁者たちに死を」「爆弾はいらない、食料をくれ」と声を上げた。アミールカビール大学では、学生たちがアフマディネジャードの写真に火をつけたりやじをとばしたりし、アフマディネジャードのスピーチが中断された。そのほかにも、シーラーズ、マーザンダラーン、マシュハド、アラメタバタバイ、タブリーズ、ハマダーンの大学で多数の集会が開かれた。

しかし、政権に対して勇気を持って立ち上がったこのような抗議者をたたえようとする西洋人は、間違った結論を下すべきではない。テヘランで行われた抗議活動の学生リーダーのひとりは、熱狂的な群衆に励まされながらこう言った。「我々の闘いは、国内の弾圧と外国の脅威という2つの方向に向けられている」。これらの若い人々は、外国の軍隊による解放を待っているのではない。外国からの侵略に直面すれば、彼らは圧制者を支持して団結することになるだろう。

文:ナスリン・アラヴィー
『We Are Iran』(Portobello Books 2006年)の著者。

訳注1:2005年9月、デンマークの日刊紙がムハンマド(イスラム教創始者)の風刺画を掲載した。イスラム教では偶像崇拝が禁止されており、信仰の対象となるムハンマドの絵を描くことは非常に重大なタブーである。また、掲載された12の絵の中には、ターバンが爆弾を模していたりナイフ持ったものなど、イスラム過激派を連想させるようなものもあった。これに対してイスラム世界を中心に世界中で抗議行動が起こった。

訳注2:1970年から3年間チリの大統領を務めた。大統領就任後は、企業の国営化を進め、キューバやソビエト連邦との結び付きも強めた。ラテンアメリカという裏庭で社会主義が広まることを恐れた米国は1973年、ピノチェト将軍率いるクーデターを支援し、アジェンデは戦闘中に自殺したとされている。



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