自立と復興の精神

A spirit of enterprise

New Internationalist No.445
September 2011 p22-23
昨年の洪水で壊滅的な被害を受けたパキスタン北西部辺境地域。現地を訪ねたメリル・ワイン・デイヴィスが、その復興の様子を報告する。


ピールサバク村の狭い路地には、石やレンガが積まれてあちこちに散らばっている。建設作業のガタガタという騒々しい音が、いたるところから聞こえてくる。あの洪水から1年が過ぎ、パキスタンの北西部辺境地域にあるハイバル・パフトゥンハー州にあるこの小さな村は、復興の途上にある。晩春には、村の周囲は青々とした小麦畑に囲まれる。だが、活気にあふれてにぎわう農村の営みはうわべでしかない。この村を覆いつくすトラウマ(心の傷)に触れることは、難しいことではないのだ。

泥と石で造られた家屋が並ぶ路地を抜け、少し歩くと川に出る。川岸の一番高い場所には、今も古い聖堂が建っている。これは、ずっと昔に消滅したランジート・シング軍のシーク教の指揮官を追悼して建てられた19世紀の遺跡である。そしてこの聖堂の前には、村で最も立派な建物(3階建てのレンガ造りの堂々としたビル)が建っている。そのビルの外壁の2階の天井にあたるところには、横断幕が下げられている。それには、隣の敷地に労働者教育基金(LEF)が新しい学校を建設中であと書かれている。

その横断幕のところまで水が押し寄せたことを、ある人が教えてくれた。

ピールサバク村は、カブール川とスワット川の合流点に位置する。その古い聖堂から上流を眺めると、約半マイル先の村の向こう側に2つの川が美しいカーブを描いて1つになる様子が見える。2つの川は山々から流れてくるが、そこに降ったモンスーンの豪雨が原因となり、インダス渓谷から海へと続く流域に沿ってすべてが流されたのである。ピールサバク村は、2つの川の水が壁のようになって合流するという最悪の場所に位置していた。

あれから1年がたち、ほとんどすべての家の再建が終わった。青いプラスチック屋根が特徴的な葦(あし)でできた被災者用仮設住居は、もうほとんど残っておらず、村外れに点在しているだけだ。しかしピールサバク村の人々は、あの破壊の悪夢と爪痕を今後も抱えながら生きていくのである。

彼らにしてみれば、自然や平穏な状態に安心しきって暮らすことは二度とできない。人が暮らしている土地は一見しっかりしているように見えるが、空に浮かぶ雲も脅威をもたらす可能性を秘めている。いつかまた、この世界が水浸しになってしまうこともあり得るのだ。洪水後の世界では、あてになるものは何もなく、生活再建が進みながらも心の中の恐怖と不安が消えることはない。

豪雨に見舞われた夜

村人に当時起こったことを尋ねれば、誰の口からも感情を伴った言葉がほとばしる。人々は、雨が降り止まないあの夜から解放されるすべを持たないのだ。村人たちは危ないという知らせを突然受け、村の向こう側にある岩がちの山の尾根へと走って逃げた。高い場所へと大急ぎで逃げることに必死で、物を持ち出す余裕はなかった。「聖典を持って行くこともできませんでした」と4人の母親であるアディバは言う。「体を覆うショールさえも持ち出せませんでした」と付け加えたのは、子どもを1人持つ若い未亡人ディルラージュだ。女性が自らの高潔と自尊の証としてヴェールをかぶる伝統があるこの村では、このことは極めて恥辱的なことなのだ。

夜が明けると、ピールサバク村は水の下に消えていた。何も無い岩の上にいる彼らのもとへ援助が届いたのは3日後のことで、水が引いたのは17日後であった。家だけでなく家財道具もすべて流されてしまった。

そして家畜もすべて失われた。農村にとって、これは何重もの損失を意味する。家畜は交通手段になり、すきを引いたり機械を動かしたりしてくれる。それに牛乳を作ったり食肉にもなる。こうしたものはすべてカネを出して外から調達しなければならなくなったが、そのカネも家畜と同じくらい不足していた。

もし再び起こったらどうなるのだろうか? 誰もが同じことを考え、そこで回想するのをやめる。貯蓄は底をつき、いざという時のための蓄えなどなく、借金を頼める親戚もいない。外部からの借り入れに必要な信用情報もなく、仕事もほとんどない。誰もが同じような状況の海にボートで漂っている。いや、むしろ浮かんでいるためのボートさえ無い状態だ。

しかしピールサバク村はいくらか幸運だった。この村では少し前から、労働者教育協会国際連盟の加盟団体であるLEFが、地元の石工組合とともにプロジェクトを始めていた。道路工事や建設に使われる細かい石の採石作業は、村人にとって主な働き口である。「私たちには、村と村人を知っている労働者やボランティアたちがいます。私たちがここにいることで、他の援助団体もここでのプロジェクトが可能だと考えるのです。彼らは私たちの組織のスタッフを引き抜こうとし、私たちも快くそれを受け入れました」とLEFのハリド・マムード代表は説明する。

再建された家々を囲む塀に描かれた数々のマークから、さまざまな団体がこの村でプロジェクトを実施していることが分かる。人口6,000人の村のおよそ1,700軒の家が破壊され、残りの家も被害を受けた。援助団体の仕事はたくさんあり、農作物のタネの支援も行われた。「今まで村にあったタネよりも品質の良いタネでした。そのおかげで畑がこんなに青々としているのです」とハリド・マムードは話す。こうした支援や、洪水のわずかな償い(伐採されて木のない山々から流され運ばれてきた土)が多少役立って畑の再生につながったのだ。

次の課題

家の再建と畑の再生が緊急の優先課題だったが、次の課題は仕事の創出と教育の提供である。

ハリド・マムードが言うように、洪水が起こる前はLEFが村の女性たちと接触するのは非常に難しかった。だが今では、家の外に出ようとしなかった女性たちが、刺しゅうや縫製、養鶏の教室を開いている。村にあるLEFの施設で定期的に行われる教室はとてもにぎやかで、家計を向上させる可能性を提供するだけでなく、仲間づきあいやお互いを慰め合う場にもなっている。「他の人々の服を作ります。それは良いアイデアだと思います」、と「特殊な」子ども(村では障がいを持つ子どもはこう呼ばれている)を抱える母親であるディルラージュは話す。年老いた母親と、妹の9カ月の息子の面倒も見ている。教室仲間のアビダは、「皆、すべてを失くしてしまったのです。売る方は、買ってくれる人が必要ですが、それは簡単なことではありません」と慎重な調子で話した。

村人たちは支援に対して感謝しているが、こうした支援がすべてのニーズに応えているわけではないし、すべての村人に届いているわけでもない。村人たちは、政府は本当に役立たずだと考える一方で、援助団体が自らの目的に合せて活動していることも感じている。そこで住民たちの出した答えは、自らの手でもっと多くのことを行うということだ。「自分自身で懸命に働くことになりますが、それは皆のためになる仕事なのです」と、村の若い女性のひとり、メーナズは話す。

洪水後のピールサバク村で生活を再建することは、「どんな困難であろうとも、乗り越えることでさらに強くなれる」という古いことわざの正しさを証明しているように思える。「私たちには権利も資格もあるんだということを、皆が意識するようになりました」と確信しているのは、地元で起業するベーラマンドだ。「私たちは、自分たちに必要なものと自分たちが持つべきものを手に入れる方法をもっと学ぶ必要があります」

災害を切り抜ける中で、地域の新しいリーダーたちが頭角を現した。彼らは村のニーズに重点を置き、新たな姿勢と断固たる信念を持ち合わせている。将来何が起こるかは不透明だが、ひとつだけはっきりしていることがある。村人たちは洪水の経験を通して進取の精神を獲得し、自ら声を上げるという能力に気づいた。「以前は誰も耳を傾けませんでした。今は村人がそれを必要としているのです」◆


メリル・ワイン・デイヴィス
作家、人類学者。共著にThe No-Nonsense Guide to Islam がある。


【翻訳協力】 鈴木まり/千田雅子


NIJ補足:パキスタン大洪水(2010)
2010年7月下旬から8月初めにかけて降り続いた豪雨により、インダス川流域で大洪水が起こり、国土の5分の1(北海道の面積の約2倍)が浸水し、2000人以上が死亡、人口の1割以上に当たる2000万人が被災した。国連は9月17日、史上最悪レベルの自然災害として、過去最高額となる20億ドルの支援金拠出を国際社会に要請した。





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