連帯を超えて

Beyond solidarity
抄訳

New Internationalist No.454
July/August 2012 p26

日本でも『公共性の喪失』(晶文社)や『不安な経済/漂流する個人』(大月書店)で知られるチリャード・セネットが先日、"Together - The Rituals, Pleasure and Politics of Co-operation"を出版した。40年以上にわたり社会階層と社会的疎外(社会的排除)について研究してきた著者へのインタビュー。


協同は技能です。職人の技のようなものです。よく似ているので、私はミュージシャンを例に話すことが多いのですが、曲を演奏する場合、他のメンバーの音をよく聞いていないととんでもないことになってしまいます。ビジネスでもそれは同じことです。この"Together"では2つのテーマを扱っています。ひとつは、19世紀の高度に産業化されたヨーロッパにおける政治的左派と社会的左派の分断です。前者はトップダウンをモデルとしていますが、後者はボトムアップをモデルとし、自分が住み働く地域での行動に重点を置いています。

もうひとつは、連帯ではなくむしろ協同だという点です。現代社会はあまりにも多様で複雑です。連帯は最適なモデルとは言えません。違いが大きく、相互理解も困難で、お互いのことを知らず、お互い好きでもない人々を一緒つなぎとめておく方法を見つけなければなりません。そこで技能が必要になってきます。自分とは異なる理解が難しい相手、よく知らない相手と関係を結んでいくには、より高い技能が必要なのです。

現在の英国の左派と右派で印象的なのは、誰もが地域での活動を口にするにもかかわらず、彼らが意味することが異なっているということです。保守党にとっては、地域の税金頼みを意味するでしょうし、左派にとっては選挙を重視する米国と同じように、地域で活動する労働組合、地方銀行、食料協同組合などではなく、行政の支配を意味するでしょう。

私にとって『占拠せよ』運動が興味深いのは、その運動のあり方にあります。もちろん私も99%で、太った猫には抵抗します。ただ、私にとって興味深かったのは、彼らが実際に場所を占拠し、自主的に運営され、協同したそのやり方です。

2009年以降、私はウォールストリートの内勤部門の労働者にインタビューしました。その多くは失業者でしたが、彼らは専門家で、ウォールストリートを動かしていた人々でした。なので、同情できないかもしれません。ただ彼らは、ウォールストリートの規定に則って間違いなく仕事をしていた人々でした。特筆すべきは、彼らはコミュニケーションが絶たれた場所にいて、トップにいる連中が複雑な数学の演算方法を理解しておらず、それを知ろうともしなかったということです。そして2008年には社会的な悲劇が起こり、人々の間での信頼も壊れていったのです。

以上のような政治的状況が示しているのは、西洋文化が協同に関して混乱しているということです。16世紀の宗教改革の時、プロテスタントにとって協同とは、儀礼ではなく道徳上の良心となりました。『私がしたいこと』『私がすべきこと』など、『私』が強調されるようになりました。しかし、協同は利他主義ではありません。私たちは『良い人間』になるのではなく、何かを成し遂げたいのです。現在の混乱には、宗教改革がもたらしたものも含まれています。

中国語にはグァンシーという言葉があります。これは、協同の儀礼を言い表す言葉で、与えるものは異なるにしても、何かすれば相手も何かしてくれるという返報の結びつきを表しています。協同の結びつきの中では各自の行動がよく分かります。西洋から見れば、その関係は腐敗のように思えるかもしれません。しかし場合によっては、それは協同のやり方のひとつにすぎません。それは、多くの西洋人が不要としてきた技能なのです。

インタビュー:ホレーシオ・モーパーゴ
英国の作家で、ニュー・インターナショナリストにも定期的に寄稿している。




 No.454 How co-operatives can save the planet


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