「クーデター、危機、ペロン主義
― 1946年以降の小史」

Since 1946...a short history of coups, crises  and Peronism

New Internationalist No.463
June 2013 p13

●1946年
フアン・ペロン[訳注*]が大統領に就任。彼は、国の政策上重要な産業を国有化し、賃上げ、労働環境の改善を行った。対外債務を返済し、失業率はほとんどゼロ近くになった。大統領婦人のエバは、最貧層と女性の権利に関するプログラムの促進に中心的役割を担った。女性の参政権が1947年に認められたが、エバは1952年にがんによって他界した。ペロン大統領は、政敵を投獄し、恩顧主義を助長し、インフレ悪化を許容したとして批判を受けている。

*ペロンは、1914年アルゼンチン陸軍に入隊した。陸軍次官から国家労働局次長を経て、労働福祉庁の初代長官となる。1944年に陸軍大臣と副大統領に就任。1945年に軍事クーデターが起こり一時拘束されたが、数日でクーデターは失敗し解放される。

1955年
軍事クーデターによってペロンは追放され、フランコ政権のスペインに亡命。ペロン主義者[訳注**]は排除された上で文民出身者の大統領就任が可能になった。

**ペロン主義の特徴は、社会正義、経済的独立、政治的独立を柱とし、極端な資本主義も共産主義も否定している点。ただ実際のペロンの政治は、独裁的でポピュリストだと言われている。

1966年
再びクーデターが起こり、軍が実権を握った。1969年には大規模な抗議活動がいくつも起こった。1970年、極左ペロン主義者のグループ「モントネロス」は、元大統領を誘拐して殺害した。モントネロスと人民革命軍が国軍を相手にゲリラ戦に突入した。双方に数千人の犠牲者が出た。

●1971年
左派ペロン主義者のエクトル・カンポラが、50%近くの得票率で大統領に当選。民主主義が戻った。数カ月後、彼はペロンに座を譲るため大統領を辞任。ペロン主義者の右派と左派の間で緊張が高まった。その結果、ブエノスアイレス国際空港でペロン帰国を待つ左派を右派が銃撃し、虐殺が起こった。13人が死亡し、300人が負傷した。ペロンは再び大統領に就任し、彼の3番目の妻イサベルが副大統領になった。

●1974年
フアン・ペロンが死去し、イサベルが大統領に就任。右派ペロン主義者が結成したアルゼンチン反共産主義同盟がモントネロスと人民革命軍に対して軍事作戦を開始。ゲリラが活動を活発化させ、多国籍企業を狙った殺害、誘拐、爆破を行った。

●1976年
再度軍事クーデターが発生。ホルヘ・ビデラ率いる新政権は、いわゆる国家再編プロセスの下、議会と最高裁判所を閉鎖し、政党、労働組合、学生自治組織を禁止した。「汚い戦争」と呼ばれる過激派や反体制派に対する弾圧が激化して広がり、国家がお墨付きを与えた拷問や失踪も起こった。7年間にわたる「汚い戦争」で3万人が命を落とした。

●1982年
レオポルド・ガルティエリは、不運なフォークランド侵攻を行ったが、英国軍に敗れた。軍事政権の支配は終了。選挙が行われ、1983年に中道の急進市民同盟のラウル・アルフォンシンが大統領となった。

●1989年
ペロン主義者のカルロス・メネムが大統領に就任。彼は、本来のペロン主義とはほど遠い新自由主義政策をとった。アルゼンチンの通貨ペソを米ドルと連動させる政策をとり、国営産業を民営化した。腐敗がはびこり、景気は後退し、失業率が高まった。メネムは、1999年の選挙で敗退した。

●1999年
フェルナンド・デ・ラ・ルア大統領の下、急進市民同盟が再び政権に返り咲いた。失業者などによる抗議活動が広がった。2001年の選挙では多数の白票が再び投じられた。

●2001年
経済は危機的状況に陥り、資本の海外流出を防ぐために銀行口座は凍結された。暴動が激しさを増し、治安部隊は抗議活動者に向けて発砲した。非常事態宣言が出され、デ・ラ・ルアはヘリコプターで大統領府から脱出。彼はペソとドルの連動性をとりやめた。

●2002年
対外債務の一部に対し、アルゼンチンは債務不履行に陥り、国際金融市場での信頼も失った。

●2003年
ネストル・キルチネル(正義党の左派ペロン主義者)が大統領選で勝利し、債務返済の繰り延べ、貿易黒字の積み上げ、賃金レベルの向上、住宅建設と社会保障の拡大などを含む革新的なプログラムに着手した。経済は回復・成長した。独裁政権時代に人権侵害にかかわった人々への恩赦法が撤回された。

●2007年
キチネル大統領は、自身が2期目を目指す代わりに妻のクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルを立てて支援。彼女が当選した。クリスティーナ・キチネル大統領は、新たな輸出税に反対する強力な農業エリート層と闘っている。

●2010年
ネストル・キルチネルが心臓発作により死亡。妻のクリスティーナは、54%の得票を得て、2011年の選挙に勝利した。




No.463 Argentina's challenge - doing it differently



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