シーフードの奴隷
Seafood slaves
New Internationalist No.483
June 2015 p9
エンバイロメント・ジャスティス財団(EJF)が新たに発表した身の毛もよだつ報告書「海賊船と奴隷」は、タイにおける魚の乱獲が海洋生態系崩壊と人身取引(人身売買)増加の原因となっていることを暴いた。

水産資源の枯渇と、欧米の消費者からの安いシーフードに対する貪欲な需要が、タイの奴隷労働を激増させている。漁船の操業時間は長くなり、漁獲が減少する中でより遠くへ漁に出るようになり、収入向上と低賃金漁船員確保のためには人身取引ネットワークが利用されている。

移民は船上でとらわれの身となり、無給で、あるいは受け取れたとしてもほんのわずかな賃金で数年間にわたり働くことを強いられる。暴力は日常茶飯事である。「私の同僚が海に落ちました」とある被害者は語る。「そのまま仕事を続けるように命じられ、彼を助けにいくことは許されませんでした。そして、彼はおぼれて死にました」

水産業界が持続可能なレベルの管理を行えば、タイ経済への貢献はもっと大きなものになるだろう。それには何が欠けているのか? EJFは、この21世紀で最もひどい社会的、生態系的、経済的な犯罪に立ち向かうための政治的意思が、政府、産業界、小売業界に見られないと主張している。

by ジェス・ワース


マラリア予防への希望
Malaria hope
New Internationalist No.483
June 2015 p
あとわずか数カ月で、マラリアに有効なワクチンが開発されるかもしれない。このワクチンは、18カ月から5歳の子どもへの臨床試験では、75%にその効果が認められた。現在マラリアは、ワクチンが存在せず、依然として世界で最も致死的な病気のひとつである。サハラ以南のアフリカ諸国では、毎年40万人以上の子どもたちが死亡している。必要とするすべての人がこのワクチンを入手できるようになるのかは、開発元の巨大製薬企業、グラクソ・スミスクライン次第である。


使い捨て買物袋の有料化
Banned bags
New Internationalist No.483
June 2015 p9
2014年スコットランドでは、持ち帰りに使うすべてのプラスチック製の袋に対し、1枚当たり5ペンス(7セント)[訳注:約8.5円]の徴収を開始。それ以来、使用料は80%減少した。これは、それぞれ2011年と2013年に同様の措置をとったウェールズと北アイルランドと同レベルの効果だ。イングランドでは、今年10月から措置が導入される。

訳注:厳密には、プラスチック製の袋だけでなく、紙製も含む小売店で配布されるすべての使い捨ての袋(single-use carrier bags)が対象となっている。
http://carrierbagchargescotland.org.uk


ジョニー・スカラマンガが受けた誤った教育
The miseducation of Jonny Scaramanga
New Internationalist No.483
June 2015 p21
原理主義者の学校教育の揺るぎない確信は、いかにしてジョニーの思考を閉じ込めてしまったのか。

15歳の時、私は自分の正しさを疑わなかった。この世界は6000年前に始まり、私は全能の神と個人的な結びつきを持っていた。そして、セクシュアリティから経済や文学まで、私は幅広い物事に関して神の教えを知っていた。私に対して誰が反論や反証をしようとも、ほとんどの場合それを無視した。私が彼らを議論で打ち負かしたり、彼らに説明できるかどうかは関係ない。私は神の言葉を知っており、彼らが間違っているのは疑う余地のないことだった。

私が通っていたキリスト教系学校の先生たちは、私のかたくなな態度を成功としてとらえていた。原理主義者にとって、信仰は揺るぎないものである。ただそれは、私や私の原理主義者の友人たちが疑念を抱かなかったという意味ではない。疑念を抱いたこともあった。しかし私たちにとって疑念とは、私たちを神から引き離すべく悪魔が差し向ける誘惑であり、乗り越えるものである。疑念への最良の対処方法は、祈ることだった。

原理主義には、ほとんどの教育概念からすればおかしな特徴が3つある。一つ目は、確信を強く求めること。二つ目は、排他性。これには、豊かで実り多き人生を送る唯一の道が原理主義で、ほかに道はないという認識も含まれる。原理主義を信じない者たちが、自分たちの人生は楽しいと主張したとしても、それはたわ言であり、永久の破滅に行き着くということだ。三つ目が、この地獄を信じるという考え方だ。これは、より極端な行動へと人々を向かわせる。もし、神の意志が周知のものであれば、それを疑うことには何の利点もない。せいぜい、すでに知られていることを自分の中で確認するか、あるいは何かするとしても、破滅に導く疑念をののしることくらいである。

英国の私立学校基準では、政治的に対抗し合う考え方をバランスよく生徒に示すことが求められている。この基準を作った人々には、これは問題のない要求だと見えたようだ。政治とは何かと言えば、許容可能な複数の見方の存在について取り上げるものである。そして適切な教育とは、政治での異なる主張を子どもたちが理解し、検討し、妥当な場合には理にかなった意見を持てるよう手助けするものでなければならない。だがこれは、原理主義者からは嫌忌される考え方だ。彼らは、感覚や好みである程度の違いがあることは認めるが、彼らには神の言葉として示されている偉大な法典の存在がある。その点から見れば、たとえば中絶、同性婚、あるいは大麻への賛成意見は、罪を支持するものだと受け止められるだろう。私が学んだ米国の原理主義者のカリキュラム、アクセレレイテッド・クリスチャン・エドュケーションは、多様な信仰を「無防備露出の原則」と考えるよう促していた。それには次のような主張も含まれる。

「公共の教育制度は、人間中心に考える無防備露出の原則に従うことで、きちんと読み書きができない多くの子どもたちを生み出している。さらには、より多くの子どもたちの間にさまざまな事柄による中毒が広がり、実際に数百万という子どもたちが、清く、平和で、喜びあふれる生活をもたらすことが可能になるであろう確固としたキリスト教の価値観を持てないでいる」

自由で民主的な社会にとって、価値観同士の衝突は問題を引き起こす。親は、自分たちの価値観に沿って子どもが受ける教育を選ぶ権利がある。しかし教育には、異なる信仰や価値観を持つ人々への敬意と寛容といった価値観が含まれなければならない。だが、これらの必要条件がぶつかり合った時、そこでは何が起こるのだろうか?

原理主義者的な信仰を持つ多くの人々にとって宗教とは、豊かで実り多き生活を送ることを可能にする土台である。しかし私は、原理主義に従って人生を満足に送ることは不可能だった。私が受けた教育は、幸福を追求する権利を私から奪ったのである。10代のころ、私は自殺願望と闘っていた。それはつまり、私の以前の「教師たち」から見れば、確信を持てず学校に対して批判的だということで、彼らの価値観を持てない人間であるということだ。

結局、両親は私の状況を非常に心配し、一般の学校に転校させた。だが、そこでのカルチャーショックはすさまじいものがあった。私は、非キリスト教徒は不道徳的だと教えられていたが、まさにその通りだった。そしてその後、自分が間違っているのかもしれないと考えられるようになるまでに、4年を要した。現在、原理主義者の学校教育は、依然として教育の一形態と考えられている。だがそれは、知力の破壊行為と見なすのが妥当ではないだろうか。

by ジョニー・スカラマンガ
ロンドン大学教育研究所博士課程にて、原理主義学校における生徒の経験について研究している。







No.483 Fundamentalism: Power, politics and persuasion(原理主義:その権力、政治、魅惑)


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