雨水の貯金で暮らす
Harvesting the raindrop
(New Internationalist No.354
March 2003 p25-26)

かつて、水をめぐっての対立がコミュニティーに不協和音を生み出した村。しかし今、協働で取り組むことで問題は解決した。世界に希望をもたらすインドのやり方を、スニタ・ナラヤンが報告する。

「4日間の雨。たった4日間ですよ。しかも3年も続いたひどい干ばつの後なのに…。しかしそれでも私達の井戸に飲み水はあるんです。なぜかって?それは、雨水を集めて貯めるチェックダムのおかげなのです。近所の人々は村を見捨てて移住してしまいましたが、私達はこの井戸を飲み水専用で使っているのです」これは、私が編集している「Down to Earth」誌記者に対して、グジャラート州のマウディ村に住むサルタバイが語った言葉だ。

通常一度取材した特定の村のその後を伝えることはあまり無い。最初は、ある希望の持てる記事を、私達が2000年に書いたことから始まった。それは、雨水を貯留しながら干ばつと戦う5つの村の様子を伝えるものだった。記事では、近隣の村人達は水が無いために移住して厳しい仕事を探さなければならなかったにもかかわらず、この5つの村では飲み水どころか灌漑用水も確保できていたという内容を紹介していた。そして2001年6月、この雨が少なく試練の多い年、私達は再び村を訪れた。そして、記者の報告した内容は次の様なものだった――3年連続のひどい干ばつにもかかわらず、すべての村には十分な飲み水があり、一部で灌漑用水の確保に問題が出始めてはいたが、それも雨水の貯留を最近始めた村だけに限られたものだった。これではっきりしたことは、雨水の貯留とは銀行口座のようなものだということである。もしも口座に入金せずに引き出してばかりいれば、口座残高は減る一方で、それは私達の帯水層(訳注2)のようにいつかは干上がってしまう。しかし、もしも定期的に口座に入金していれば、困難な時期が長引いたとしても、その残高で何とかやっていけるだろう。2002年6月、三度記者がこの村々を訪れ、インドで最もひどい干ばつが襲ったこの地方で、平均以下の降雨量の中さらにもう1年村人達がどうやって生活しているのかを調べた。

サルタバイと彼の家族は、このさらなる干ばつの年を生活するのに苦労していた。しかし、少量の雨でも小さなチェックダム(訳注1)を使って雨水を集めることができ、いくらか息をつくことができていた。チェックダムとは、集めて貯留した雨水を地中に浸透させ、地下水を補充するためのものだ。サルタバイと同じような話は他の村でも聞くことができる。グジャラート州のラジ・サマディヤラの村々は、1985年から自発的にチェックダムや池を作ってきた。今では、1,000ヘクタールあまりの地域に45以上のチェックダムがある。ここでは、過去4年間雨がまったく降らないか降ってもほんの少しという年が続いている。しかし、ここには豊富な飲み水も灌漑用の水もある。そして今、リモートセンシング技術を使って、水を貯めるための地中の岩脈を探そうと村では計画している。これまでに結局はっきりしたことは、この4年に及ぶ少雨の年(大変な忍耐を必要とする3年連続の干ばつを含む)が過ぎても、村人達は雨水貯留によりこの最悪の状況の中持ちこたえているということだ。この方法に懐疑的な人々は、雨が非常に少ない地方での雨水貯留は実行可能な手法ではないと主張する。だが現実に、それは今まで見てきたように実行可能である。実際、雨水という地域の授かり物を集めることで経済的に満たされる、つまり暮らしを作り上げることは可能である。

このことを頭に入れて次の質問を考えてみよう。はたして、干ばつとは自然災害と呼べるものなのだろうか?いや、インドではもはやそう呼ぶことはできない。干ばつは「政府が作り出した」災害である。過去数百年の間、この国の水管理は2度のパラダイムシフトを経験した。最初は、個人やコミュニティーの役割がほとんどすべて自治体に取って代わられた時。2度目は、雨水利用のための簡素な手法の使用が減少した時。それに代わってダムや管井戸が使用され、河川や地下水が中心的な水の供給源になった。河川や帯水層の水は、降り注ぐ雨水のほんの一部でしかないため、河川や帯水層だけに頼ることは、これらの供給源に耐え難い負担をかけることとなる。それらはまた、コスト回収があまり見込めないため、政府に頼ることは水供給の財政的な持続性を危機に陥れる。そして保守修理はほとんど望み薄になってしまう。人々が水の節約を自分自身の問題として捉えない限り、水資源の持続可能性には疑問符が付く。つまり、政府による飲み水供給計画には重大な問題がある。政府の大変な努力にもかかわらず、水源を持たない村、政府用語で言うところの「問題村」は減少する気配が無い。ある政府職員は次の様に語った、「それはまるで、2万の問題村が片付いても、またすぐに新たな2万の問題村が湧き出てくる感じだ」

雨水貯留をここまで強力なテクノロジーにしているのは何か?ほとんどの開発途上国では、雨はあまり降らず雨水に頼ることはできない。例えばインドでは、1年8,760時間のうち、降雨の半分が約15日間のうちの100時間以下に集中している。降雨日数は、グジャラートやラジャスターンの砂漠地帯の年間5日から、インド北東部の150日まで幅がある。ただこの砂漠地帯の場合、5日間のうち数日は非常に激しい雨が降る。従って、これらの雨が地上に降り注いで流れ去ってしまう数時間の間に、その水を上手に捕まえる事が重要だ。

さてここで、インドの中でも一番の乾燥地帯、通常年間100ミリ程しか雨が降らないラジャスターンのバーマーに1ヘクタールの土地を持っているとしよう。その土地には年間最大100万リットルの雨水が天から降り注ぐ。この量はこのあたりでは平均的なものだが、多めに見積もってひとり当たり1日15リットルの水を飲料と料理用に使うとすれば、182人分の年間使用量に匹敵する。もしも天からの水を捕まえることができなければ、いくら大地に降り注いでもその恩恵を受けることはできない。インド東部のメガラヤ州のチェラプンジは、年間降雨量1万4千ミリを誇り、地球上で一番湿った土地として知られている。だがここも飲料水不足に苦しんでいる。暴力的ともいえるモンスーンの季節に降る雨は、どこにも貯められることなく川を伝って流れ下ってしまうため、乾季には水不足に陥ってしまうのだ。マハラシュトラ州のスコマイリ村やラルガン・シッディ村、ラジャスターン州のアルワー郡の村々の経験からも分かるように、雨水の貯留は農村地帯での貧困を解消する第一歩となりえる。水供給の安定度が増せば、農業生産は向上し、家畜の世話もより良くできるようになる。1970年にインドで最も貧しい村のひとつだったラルガン・シッディ村は、雨水の貯留により今日では最も栄えた村の仲間入りを果たした。

雨水を貯留する施設を建設することはとても容易である。少々の資金さえあればどんな建設会社にでもできることだ。しかし、いくら効果的な施設が出来上がったとしても、それが村のコミュニティーによるスムーズな自主管理を約束するものではない。村人達によるきちんとした運営が約束されるのは、そのような施設建設が協調性ある社会的な動きの産物である場合だけだ。水というものは面白い天然資源で、それはいとも簡単に人々を団結させたり仲たがいさせたりする。力強い社会の動きによって、それぞれの施設が共通の目標に向かってコミュニティーの団結を強める。これが、経済学者の言うところの「ソーシャル・キャピタル(social capital)」である。この部分で政府機関が手立てをうってきた形跡は見当たらないどころか、政府の硬直した規則は社会が結集する根本的な原理に負の影響を及ぼしてしまう。

インドのような国が必要としている水政策には、インド最大の共同事業としてコミュニティーと世帯を巻き込んだ水管理を認めることが必要だ。それはまた、雨粒一滴一滴の価値を見出す「水運動」を必要としている。

訳注1:小型の堰。モンスーンの時期にできる小川や流れの一部を堰き止め、その堰き止めた水のたまった部分(catchment area)から水が地中に浸透し地下水を補充する。
訳注2:地中の水を含んだ層。次の松山市のホームページに分かりやすい図が掲載されている。
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/koeikigyo/kg-kensetu/hukaido/#idozu

スニタ・ナラヤン:科学と環境センター(http://www.cseindia.org)代表で、Down to Earth誌の編集も行っている。

この記事の中に出てきた雨水貯留を行っている地域の連絡先
Annasaheb Hazare
Ralegan Siddhi
Ahmednagar 414302
Maharashtra, India
Tel: +91-241-40227又は40224

Harnath Jagawat
Director, N M Sadguru Water & Development Foundation
Post Box 71
Dahod 389151
Gujarat
Tel: +91-2673-38601又は38602又は40215
Fax: +91-2673-46749又は38604
Email: nmsadguru@yahoo.com




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