汚れたビジネス

Dirty business
(New Internationalist No.363
December 2003 p25)

 

数ヶ月前、米国在住のエチオピア人アルマッツ・メクゥアニントから一通のEmailがNIに届いた。そこには、彼女が以前住んでいたワンジというエチオピアの砂糖精製の町のことが詳しく書かれていた。NIは、彼女がEmailの中で説明していたいくつかの場所を建設・運営したオランダ企業HVA社にこのEmailを転送した。そして、現在HVAインターナショナル社の統括部長であるクレメンス・JM・ロリンクが回答を送ってきた。ここに掲載するのは、両者の主張を縮めたものである。両者は随分と異なった見方をしているが、どちらの主張がより説得力あるものなのか、その判断は読者の皆さんにお任せしたい。

アルマッツ・メクゥアニントの主張

エチオピアの砂糖工場周辺に住む私の家族と、10万もの声無き住人達のことを思うと、私は無力感に襲われ絶望の底へ突き落とされるようです。

オランダのHVA社がこの町で砂糖工場を最初に始めたのは、1950年代のことでした。ワンジ、ワンジ/ショア、メテハラの3つの砂糖工場は、それぞれ1954年、1960年、1968年に建設されました。1967年、まだ幼い時に私はワンジにやって来ました。私はそこで育ち、そこで2人の子供を産んで育てました。この地域には弱みがありました。仕事や経済的状況が脅かされる可能性を考えると人々は抵抗はできず、そのため住民達は弱くて消極的だと見られていました。

いつもオランダ人は、私達を最低に扱い、最悪のものしかもたらしませんでした。砂糖の粉砕や加工や煮沸は、有毒な廃棄物とガスを生み出しました。廃蜜糖は道路に流れ出し、そこはべたついて歩き難く、悪臭を放っていました。多数の家の建設にアスベストが使われ、飲料水には過度のフッ素が含まれていました。

その時の大気汚染が原因で、私は現在ぜんそくに悩まされています。私の歯はボロボロで、膝をはじめとしてあちこちの関節に問題を抱えています。私の子供の歯もひどい状態で、虫歯と着色に悩んでいます。

オランダ人達は、「鉄線で囲まれた」という意味のシェボ・ギビという所に離れて住んでいました。シェボ・ギビには近づくな、とよく父には注意されました。私は父に、なぜダメなのか、と聞きました。すると父は、私達は黒人で彼ら―砂糖工場を経営している人々―は白人だからだ、と答えました。

最近私はエチオピアに戻り、たくさんの人々が公害による病気に苦しめられていることを知りました。父の友人のうち何人かは、骨フッ素症で寝たきりでした。美しく若い女性達は、着色した歯が見えないよう笑う時に口を手で覆っていました。

排出された煙が濃くたちこめ、私がかつて住んでいた辺りは霧がかかったようになっていました。ちり、ガス、煙は、多数の人々の肺や循環器官に影響を与えています。飲料水は、有毒廃棄物によりひどく汚染されています。

この地域では、汚染物質については詳しく調べられていないのが現状です。しかし、これらのことが原因でたくさんの子供達が死んでいるということは分かります。残念なことに、誰に対して文句を言い、どこに助けを求めたらいいのかがまったく分かりません。

HVAインターナショナル社の本社はオランダにあります。ずいぶんと前、私はそこへEmailを送りました。しかし、返事はきませんでした。私は、彼らが作り出した問題の責任は彼らにあると考えます。エチオピア政府には資金が無く、飢餓やAIDS危機にも直面しているのです。

●クレメンス・JM・ロリンクの主張

HVA社が所有していた砂糖関連施設は、1976年にエチオピア政府により国有化されました……。HVAインターナショナル有限会社は、エチオピアのHVA社とその利権とは、いかなる法律上の結びつきもありません。

恐らく、私達が質問に答えることの出来る唯一の関係者と思われますので、私達には倫理上答える責任があるのかもしれません。しかしその一方で、エチオピアの砂糖関連施設について詳しく分かる者は、現在当社には誰もいないのです。

国有化の時……エチオピア政府は、フッ素の問題に対する多額の補償を要求し、それと同時に、将来のすべての申し立てに対して責任を負うことを承諾しました。1960年代、その地域では飲料水が手に入らなかったため、HVA社は井戸を掘りました。数年後、井戸水には高い濃度のフッ素が含まれていることが明らかになりました。ただ、当時フッ素の影響はあまりわかっていませんでした。

正式な調査を命じたのは、HVA社でさえ1970年代に入る前でした。その調査結果から、それらの井戸の水を長期間飲んでいると、歯や骨(特に子供の)に悪影響を及ぼす可能性があることがはっきりしてきました。

HVA社はすぐに対策を講じ、分離された水供給場所を用意し、そこでは特別なボーン・フィルターを使って、通称「子供のための水」と呼ばれる低フッ素の水を供給しました。誰でも例外なくこの水を利用することができ、この情報は砂糖施設のまわりに広く伝えられました。フッ素に関する問題は、すべてとても真剣に取り上げられました……。フッ素による影響以外、他の病気による重篤な症状は知られていませんでした……。

白人と黒人は分離されてはいませんでした。それどころか、労働者(黒人のみ)用エリアと、白人と黒人が一緒に住んで施設を共用するスタッフ用エリアという2つの地区が存在しました……。

鉄鋼や化学などという業界に比べれば、砂糖工場からの公害は非常に限定的なものです。今日西ヨーロッパの工場ではすでに広く行われ、有効とされているような公害対策は行われていました……。

私達の知る限りでは、住居にアスベストが使われたことはありません。ただ、工場内では断熱材として使われました。アスベストは実際、その場所に取り付けられた後は動かされず、粒子も飛び散らないので、いかなる問題も引き起こしてはいません。

概して言えば、工場周辺の居住環境は、村の他の地区と比べれば極めて良いと断言できます……。西ヨーロッパでもそうであったように、工業化は他の影響をもたらすことも確かです。しかしそんな影響も、エチオピアの他の地域と比べても、それ程良くもなく悪くもなくと言った状況だと私達は考えています。

 


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