居場所を探して

On the street
(New Internationalist No.370
August 2004 p22)

 

西洋に住む若いイスラム教徒たちを極端な行動に駆り立てているものは一体何なのか、シャイスタ・アジズが検証する。


私は28歳の女性イスラム教徒。教育を受け、専門職に就き、英国社会の中では多くの人々と同じようなごく普通の暮らしている。2002年、私はジハードに参加するため、荷物をまとめてパレスチナ占領地区に向かった。私をこのように駆り立てたのは、イスラム教徒としての強い信仰心と、パレスチナ人を苦しめ絶えることのない人権侵害に対する怒りと失望だった。

私は、ヨルダン川西岸地区のバラタやジェニンの難民キャンプ、ガザ地区にあるハン・ユニスやラファに広がるスラムに滞在した。英国国籍の私が一緒にいれば、イスラエルの検閲所を患者が通り抜ける際の助けになると期待し、私は救急車の運転手と救急救命士に付き添った。難民キャンプでは、収入を生み出すためのプロジェクトを立ち上げたパレスチナの女性たちと働いた。

私のジハード、それは、仲間であるイスラム教徒の同胞たちの苦闘をより深く理解するための個人的な旅である。この旅のおかげで、互いにただ平和でありたいと奮闘するパレスチナの人々とイスラエルの活動家たちとじかに接することができ、自分の信条により近づくことができた。

ジハードに参加することは、イスラム教徒にとっての義務である。ジハードの本当の意味は「苦闘」であるが、「聖戦」がジハードの唯一の意味だと信じる西洋のメディアが、この言葉を正しく用いることはほとんどない。

ジハードには2つの種類がある。大ジハードは、個々のイスラム教徒全員がそれぞれ努力すべきものである。日々の生活のすべての面で信仰を続けるための追及であり、より強いイスラム教徒、より情け深く優しい人間になるために絶えることなく持続させていく内面の努力である。小ジハードとは、自分たちの宗教と人々を守る全イスラム教徒の義務のことで、必要であれば武器を手にすることもある。

昨年の4月、これと同じ強いイスラム教の信仰心から、英国の2人のイスラム教徒がイスラエルへと旅立ち、彼らの信じるジハードに参加した。オマル・シャリーフ27歳とアシフ・ハニーフ21歳は、パレスチナ武装グループ、ハマスに志願してテルアビブへ行き、そこで爆弾を組み立てて胴体に巻き付けたとされている。そして、ハニーフは市内の混雑した飲み屋の外で自分の爆弾を爆発させた。彼を含め4人が死亡、65人が負傷した。シャリーフは爆発に失敗し現場から逃れたが、12日後にイスラエル沿岸で水死体となって発見された。

今年の初め、ハマスはあるビデオを公開した。そこには、戦闘服に身を包んだ2人の若者が、ライフルを持って映っていた。ハマスが外国人を利用してイスラエル内部で攻撃を行ったのはこれが初めてのことだった。ハマスは、さらに多くの西洋で生まれ育ったイスラム教徒たちが、こうした攻撃に向けて待機していると主張する。一体、何が彼らをそのように駆り立てているのだろうか?

ジャマール(仮名)は、20代前半のパキスタン系英国人である。遠縁の娘と結婚するため、7年前に英国に渡ってきた。気がつけば、ジャマールは酒と麻薬に溺れていた。「当時私は堕落してた。ナイトクラブを渡り歩いてばかりで常に酒浸りだった。イスラム教からどんどん遠ざかっていく気がし、自己嫌悪に陥りそうだった」ジャマールと親戚の娘の結婚は解消され、親戚の家からも追い出された。「ロンドンに引っ越し、ファストフード店で仕事を見つけ、何人か友人ができた。彼らのほとんどがきちんとしたイスラム教徒で、故郷の友人と同じようにモスクに通い、清らかな毎日を送っていたんだ。彼らといると幸せで安心を感じられ、酒と麻薬を止めたよ」やがて彼は、イスラム教徒に改宗した英国人と結婚し、イーストロンドンに落ち着いた。

2000年11月、ジャマールと3人の友人は、ピストルやライフルの使い方と「戦闘での利用法を習得するため」に、カシミールへ出かけた。ジャマールはカシミールに2ヶ月滞在した。彼はこう説明する。「私の宗教は、自分と家族を守るよう説いている。世界中の私の同胞たちを、不法行為や不当な攻撃から守ることは、イスラム教徒としての私の義務だ。アラーがそのようにお望みであれば、私は喜んで同胞を守る用意がある。」

ジャマールは、マドリッド、イスタンブール、ニューヨーク、バリでのテロ攻撃を「ジハード」行為だと見なしてはいない。「預言者マホメットはイスラム教徒に対して、戦いをすべき時について明確な指針をお与えになった。しかし、こうした一連の爆弾攻撃が、マホメットの指針に従ったものだとは私には思えない」しかし彼は、イスラム国家やイスラム教徒に対する外交政策が、米国への攻撃を避け難いものにしたと考えている。

イスラム教は、実際に戦争と関わりのない人間を殺すことを禁じているが、では、なぜ一般市民に対してテロ攻撃を行うイスラム教徒がいるのだろうか?

解説者の中には、西洋社会への憎悪と死を説く過激な聖職者によって、若いイスラム教徒たちが洗脳されていると見る者もいる。この見方が正しいと思われるケースもあるが、私はこれと他の要因が絡み合ったものが、その人の背景にかかわらずすべてのイスラム教徒に疎外感を与え、一部の人に極端な見方をさせているのではないかと考える。イスラム教徒たちは、自分たちが異常な程警官から「職務質問」や反テロリズム法の標的にされていると感じている。英国内務省の統計では、反テロリズム法に基づく捜査は2002-2003年には計32,100件であったが、これは前年より21,900件、1999-2000年より30,000件も上回る数字である。逮捕者が出ると、新聞の見出しは「イスラム教徒のテロリスト容疑者拘束」と書き立てる。ニュースになった人々のほとんどが起訴されることもなく解放されるのに、このような記事の訂正を掲載する新聞はほとんどない。

英国では、イスラム教徒の失業率が他の民族コミュニティーと比べて高くなっている。労働力調査によれば、パキスタン人とベンガル人の失業率は白人のおよそ3倍である。低所得者の住む地域では、英国人であるという帰属意識が低い若者層が出現している。人種差別とイスラム恐怖症の傷は深い。

私と友人たちは、日増しに自分の生まれた国での生活に孤立感と不快感を感じるようになってきた。ちょっとしたことでがっかりさせられるのだ。地下鉄に乗れば疑いの眼差しを向けられ、普段頻繁に生き方や日常生活について質問を浴びる。ヒジャーブ(イスラム教徒の女性用衣装)を着ているから仕事に就けないのだろうと自ら疑いを抱き心を悩ます。不条理なことかもしれないが、イスラム教徒だから差別されていると初めて感じた。

グアンタナモの米軍キャンプで監禁されていたイスラム教徒の証言を聞いた時、米軍管理下の刑務所で裸のまま目隠しされたイラクの同胞たちの写真を見た時、そして、仲間のイスラム教徒が裁判も受けずに英国で投獄されたと聞いた時、いわゆる「テロとの戦い」とは、イスラム教徒とイスラム教に対する戦いであることがはっきりとした。

私は中東で、極端な暴力と憎悪が、どのようにして更に極端な暴力と憎悪を引き起こすかを目撃した。最近、私はある女性に出会った。彼女の夫は、ロンドンの家から警官に引きずり出され、1週間拘留された後に起訴されることなく解放された。しかし彼女は、夫が逮捕されて間もなく流産した。

トニー・ブレアがイスラム教徒の「心」をつかまなければならないのは、何もイラクだけの話ではない。まずは自分の足元から始める必要があるのだ。

 

シャイスタ・アジズ
フリーランスのジャーナリスト。BBCとアルジャジーラ両方で働いた経験を持つ。

訳: 松並敦子



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