百花斉放・百家争鳴
〜変革をもたらす勇気ある声〜

Let a hundred flowers bloom!
(New Internationalist No.371
September 2004 p26-27)

 

正しい環境のクリエイター

中国初の環境NGO、フレンズ・オブ・ネーチャー(FON)の創設者リアン・コンジーは、活動家が投獄されずに運動を行える政治的な場を作り上げた。FONは、メディアや教育キャンペーンを通して、一般の目につく形で環境意識を高めることに専念してきた。そして、メンバーを動員して政府と対立する(歴史的に、こうした対立が権力者を敵に回す結果となっていた)のではなく、政府が環境保護を強化するための支援に重点を置いてきた。FONの最も華々しい勝利は、世界一高価なスカーフに使われる、シルクのようなシャトゥーシュ毛を持つチベットアンテロープを保護する1999年の運動であった。リアンのキャンペーンは、密猟反対派2名の殺害後、人民共和国の歴史上最大の取り締まり活動につながり、500頭以上のチベットアンテロープの皮が押収され、密猟行為が激減する結果をもたらした。またリアンは、国の各地で大っぴらに行われていた違法な森林伐採に加え、雲南省の南西部(絶滅の危機に瀕するイボハナザルの唯一の生息地)の多雨林での森林伐採の中止も呼びかける全国キャンペーンを立ち上げた。

1994年の最初の集会に参加したのは60人であったが、現在では700名の会員と2,000人の学生会員を抱える団体に成長した。(1)

 

デモ参加で民主主義者を訴える

昨年から、7月1日には、香港の人口700万人のうち14人に1人が、民主主義と表現の自由を求めてデモを行っている。7月1日は中国共産党(CCP)の創立記念日であるとともに、7年前に「一国二制度」という約束の下、香港が中国に返還された日でもある。当初香港は、自治権を少しは持てることを期待していたが、今のところ北京政府はその期待に応えていない。そして、反体制派をつぶす可能性を秘めた新しい治安法が提案された時、これに反対する意思を示そうと、昨年は50万人が平和的に集結した。

今年は、自分たちの手で次期指導者を選ぶことができない(現在は、中国政府の言いなりである委員会が都合良く選ぶ)ことに対して、人々が集まって抗議した。さらに、次回2008年の立法会(議会)選挙[訳注]で普通選挙が行われないことが4月に発表され、人々は投票の機会を失った。昨年は予想以上の集会であったため、今回は控えめな反応が予想され、「恐らく30万人の人出」と主催者の1人は語った。中国では、いくつかの放送局が「10万人規模の集会」と報道したに過ぎなかった。ところが、国際的なメディアの報道はまったく異なるもので、「今年一番の暑さをものともせず、53万人がデモ行進に参加した」と伝えた。

[訳注] 9月12日に行われた立法会選挙(定数60)では、親中派が引き続き過半数を獲得し、民主派は25議席と一歩及ばなかった。

 

危険を冒して

中国でHIV/AIDSが蔓延する状況を中国当局が認めようとしなかった時に、ワン・ヤンハイ博士は率直にその状況を認めた。そうすることにより彼は、エイズとの闘いで重大な役割を果たしただけでなく、こうした難しい分野で活動家たちが活動を続け、政府と対決して勝利をおさめる1つの打開策を示した。ワン博士の提言活動は、彼が築いたエイズ・アクション・プロジェクトという組織から始まった。この組織は、リスクの高い人々に支援活動を行うために1994年に設立され、1998年までに手紙キャンペーン、記者会見、写真展を行い、HIV/AIDS感染者に対するより人間らしい対応を訴えた。さらに、汚染された血液や器具の使用によって何千人もの地元の人々がHIVに感染した中国中央部の河南省の事件において、政府がいかに無気力で堕落していたかを、ウェブサイトを通して公表する手助けも行った。2002年6月には、ワン博士と関係者が集めた資料を用いた国連の報告書が、中国政府のHIV/AIDS禍への対応の甘さを批判し、政府が有効な対策を講じなければ、2010年までに10万人がHIVに感染するとの予測を発表した。この報告書が出版されて4日後、政府はエイズ・アクション・プロジェクトの活動停止命令を出した。そして2002年8月24日、ワン博士が北京で消えた。すぐさま国際社会は、中国の公安当局がワン博士を拉致したと非難し、解放を迫った。その後1ヶ月もたたないうちにワン博士は解放された。それ以来、エイズ・アクション・プロジェクトは、北京エイジングという公的に認められた組織として活動を再開した。さらに政府は、無料エイズ検査、注射針交換プログラム、コンドーム使用の奨励、貧困者の治療費補助などを発表した。(2)

 

トイレに隠された秘密

拷問を受け、労働による更生施設(RTL)送致に決まった後、ヤン・ゼンギュは、彼が知る唯一の方法 ―芸術― を通して自らの怒りを表現した。中国西部、浙江省のある地域で人民議会の副代表をしていたゼンギュは、政府のユエン・ミンユアン芸術家コロニー破壊に反対する活動の指揮を執った後、でっち上げの罪を着せられ逮捕された。北京シアンゲRTL収容所の看守は、彼に墨と紙を与えた。しかし、ゼンギュの描く絵は、木や花の穏やかな姿を描く伝統的な水墨画ではなく、黒く縁どられた涙、血、抑圧された魂を表すものだった。看守が入って来ると、彼はそれまで描いていた絵をくちゃくちゃにし、失敗作だと言ってその場をつくろい、看守が出て行くと丹念に紙を元どおりにした。絵が完成するとビニールで包み、刑務所外の労働に出る時に衣服の中に入れて持ち出してはトイレに隠していた。こうして彼は、3年の拘置期間中に、100の作品(左の絵はその1つ)を保管していたのだ。後に彼は、これらのうち50点を密かに米国へ持ち出し、ニューヨークの展示会に出品した。(3)

 

天安門広場を照らす灯り

1980年代の経済改革・政治開放路線に続き、さらなる民主化を要求する労働者と学生のデモが、1989年の春に多くの都市で起きた。大半のデモは、トラブルもなく解散させられたが、参加者が最大100万人に達した北京の天安門広場での抗議行動は容易には終わらなかった。6月4日、和解交渉が失敗した後、広場には戦車が送り込まれた。周辺の通りでは数百人もの市民が命を落とした。そしてこの後、国中で何万もの人々が逮捕された。アムネスティー・インターナショナルの記録によれば、このデモに関わったために今なお50人以上が刑務所に拘留されているが、この数字は氷山の一角に過ぎないと考えられている。そしてさらに、墓標のない墓が存在するのだ…。

15年経った今でも、1989年のデモに関与したとして逮捕され、投獄される人々がいる。昨年のSARS感染に関する政府のもみ消し工作を公表したジャン・ヤンヨン博士は、大虐殺事件の再検証を公に求めた後の今年6月に拘留された。HIVと環境の活動家であるフゥー・ジアは、司法に訴えた後、4月に一時的ではあったが拘留された。また、3人の女性ディン・ジリン、ジャン・シャンリン、ファン・ジンピンは、明らかに15周年行事を阻止する目的でこの3月に数日間拘留された。天安門事件では、ジリンとシャンリンは息子を、シャンリンは夫を亡くしている。3人は現在、1989年6月の弾圧に対して説明と正義を求める運動を行う犠牲者家族団体、「天安門の母」のメンバーである。愛する家族を失った当時、彼らは誰も反体制を掲げていたわけではなく、広場から娘や息子や夫が戻ってこない何百人もの人々を助けていただけであった。現在、墓や刑務所を回っては、消えてしまった人々を探している。これは十分危険なことであるが、さらに彼らは、政府に責任があるとする主張を公に続けている。(4)

 

(1) 'A Friend of Nature' in Beijing Review, Vol 46 No 52, 25 December 2003; US Embassy, Beijing, Chinese Environmentalist Liang Congjie on NGO life, February 2000
(2) Physicians for Human Rights letter to China's Minister of Foreign Affairs, Tang Jiaxuan Buzhang on behalf of Dr Wan Yanhai, 17 September 2002; J Gittings, 'China stops AIDS hero speaking out in the US' in The Guardian, 31 May 2001; A Chen, 'The Limits of Official Tolerance: The Case of Aizhixing' in China Rights Forum, No 3, 2003; 'China frees the founder of an AIDS information website' in Reporters Without Borders website: www.rsf.org, 20 September 2002
(
3) Wang Ai, 'Art from the latrines of the great northern wilderness' in China Rights Forum, No 4, 2003
(4) Amnesty International Press Release dated 3 June 2004; Human Rights Watch, 'China: Release Whistleblowing Doctor', in Human Rights News, 10 June 2004; Human Rights in China special edition on Tian'anmen Square in China Rights Forum, No 2, 2004.

 

訳: 松並敦子



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