恐怖と嫌悪

Fear and loathing
(New Internationalist No.372
October 2004 p16-17)

 

パレスチナとの連帯を目指す仲間たちや、もっと幅広いグローバル化/反戦運動にかかわっているユダヤ人・非ユダヤ人の友人たちに向かって、私がユダヤ人として体験してきた困難を語る勇気を持てるようになったのは、この数カ月のことだ。そうした困難とは、反ユダヤという人種差別、あるいはユダヤ人嫌い/ユダヤ人に対する嫌悪感いというものである。

私がパレスチナ人の権利を求める闘争に初めて参加したのは、2002年のトラファルガー広場での集会だった。そこでは、名を告げることもなく連帯意識を持って、自分の信念のために立ち上がることができた。しかし、私は恐怖を感じながら、演台に立つイスラエル系ユダヤ人平和活動家に対する周囲の反応を見ていた。「占領はテロ行為です!」と彼女は訴えた。「若いパレスチナの少年少女の心に絶望感をもたらすだけです。また、自爆行為は、パレスチナ闘争の助けにはなっていません。こうした子どもたちを送り出す者は、ハマス、イスラム聖戦、タンジン[訳注:PLO主流派ファタハの武装組織]であろうが、シャロンの術中にはまっているのです。」

この時、イスラム原理主義の若者グループ(空のトイレットペーパーの芯をダイナマイトよろしく腹部に巻き付けた者もいた)がビンを投げながら演台に押し寄せ、「イスラエルにはスカッドミサイルを! テルアビブには毒ガスを!」と声を上げた。また、アラビア語で「ユダヤ人には死を!」と繰り返し唱えた。誰からも助けの手が差しのべられることなく何とか演説を続けるこの女性の姿を見て、私の恐怖心はさらに高まった。壇上に座っていた人たちの中に、こうした悪質な人種差別に抵抗しようと動く者はいなかった。彼女が演台を離れ、マイクを引き継いだ司会者は、「えー、最後の講演者の主張ですが、これには私たち全員が賛同しているわけではありません・・・」とのコメントを述べた。

イスラエル人への悪意に満ちた敵対心があふれたその日、英国左派の主流派によって芽生えた圧倒的な私の感情の中に、パレスチナ人たちとの連帯感が占める割合は多くはなかった。引いては、このような敵対心が、ユダヤ人であるという不名誉を隠したりユダヤ人国家を否定しなかったりする人々に向けられるのだ。

ユダヤ人に対する人種差別と言えば、たいていショア(ホロコースト)が思い起こされてきた。もっと捉えにくい日常に埋もれた人種差別の兆候に、人々が注意を払うことは少ない。もちろん、ユダヤ人がガス室に送り込まれているわけでなく、ありがたいことに英国では、人や建物への人種差別があらわになった行動はほとんどない。しかし、特にイスラエル/パレスチナ問題に関連して、ユダヤ人に対する嫌悪感が人々の態度や表情に出てくることはある。イスラエル政策への批判は、ユダヤ人への嫌悪感によるものではない。しかし、その批判の表現の中には、人種に対する嫌悪感があふれていることがある。ユダヤ人嫌いは、軽率で感情を刺激する言葉、対立を促すような姿勢、ユダヤ人の懸念や共通の記憶に対する呆れるような鈍感さ、ユダヤ人やイスラエル人に対して向けられる憎しみ表現の度合い、そして何よりも、反ユダヤ人主義が存在するという問題を一様に否定する態度に見られる。


ホロコースト疲れ

ホロコーストに関して数々の緊張が渦巻き、その痛みがどれほどユダヤ人の心の奥深くまで達し、いまだに居座り続けているのか。このことががはっきり理解されていないことは、想像にかたくない。若いユダヤ系英国人の船員として、ホロコーストの生き残りの人たちをオデッサからマルセイユに運んでいた私の祖父は、アンネ・フランクの父親でアウシュビッツから生還したオットー・フランクに、自分のコートをあげた時のことをありありと語ってくれる。『アンネの日記』は私の青春時代の愛読書だった。魅力的で、自分を取り巻く状況に感づいた少女が、ただユダヤ人だったがためにベルゲンベルゼンの強制収容所で発疹チフスを患い、15歳で悲壮な死を遂げたのだ。40年前のヨーロッパに生まれていたなら、私も同じ目に遭っていたかもしれない、そう意識しながら私は今日まで生きてきた。この悲惨な現実に対して無礼な振る舞いを感じると、言うまでもなく私は感情的になってしまう。

左派の中でもあるグループは、ホロコーストについて取り上げてもうめきと嘆き以外は何も出てこないと言い、このような態度は「ホロコースト疲れ」と呼ばれている。そこには、経験全体を深く考えもせずに退けるようなありふれた様々な反応がある。「もちろんホロコーストは悲惨だった。けれどホロコーストは、パレスチナ人から盗んだ地にイスラエルという違法なユダヤ人国家を築くための言い訳として、シオニストのリーダーたちによって利用されたのです」

またこの種のグループは、パレスチナの現状とホロコーストを非常に意図的に比較する。ダビデの星とかぎ十字、ヒトラーの親衛隊の制服を着たイスラエル兵士の漫画などがそれである。この2年間で、私はパレスチナへ何度も足を運んだが、この目でぞっとするような状況を見てきた。イスラエルが歴史を繰り返し、「ナチになった」と言うのはあまりにも単純すぎるかもしれないが、パレスチナとの連帯運動にかかわる活動家の中にはこのように比べる者もいる。感情を逆撫でする象徴や言葉、私たちの迫害経験が広く否定されることは、まるでイスラエル国家の行動によって、ユダヤ人が集団的に罰を受けているようである。根深く残るトラウマを刺激されると、私は否応なく守りの姿勢を取ってしまう。私はパレスチナ人に対するイスラエル国家の政策を支持しているわけではないのに、何とも皮肉なことである。


シオニストの影

現在500万人のユダヤ人がイスラエルに住んでいるが、多くの者が、彼らが生まれ、故郷と呼ぶ場所に感情的な深い結びつきを持っている。「イスラエルの地」に対するこの結びつきは、これまでずっと私たちの意識の重要な部分を占めてきた。改革派ユダヤ教徒としてしつけられた私も、この結びつきを感じてきた。エルサレムの第二神殿に残る「嘆きの壁」の冷たい石に初めて手のひらを押しつけた時、16歳だった私は、ユダヤ人である意味の重さ、そしてユダヤ民族の存続に対する自分の責任を感じたことを覚えている。

私はシオニストということなのだろうか? 多くのシャロンの政策に反対するユダヤ人は、シオニストである。彼らは占領に反対し、実行可能で公平な2つの国家という解決策を信じている。ただ、「シオニスト」という言葉はあまりにも混同され、左派でも異議が唱えられるようになった。時々、「シオニスト」がどのような意味で使われているのかを理解するのが難しいことがある。私にとってシオニストは、常にユダヤ人の民族主義を意味してきた。つまり、敵だらけの世界で、ユダヤ人の生き残りを保証する唯一の方法は、ユダヤ人の祖国、すなわちユダヤ人国家が不可欠だという信念である。この意味からすると、私はシオニストではない。イスラエル人の国家が存在する土地に、歴史的、そして感情的な結びつきを感じる一方で、ユダヤ人とすべての人がどこでも安全に暮らすことができ、人々の文化が賞賛され、国家に頼らなくてもすむような世界が良いと考える。しかし、国家が普通の枠組となっている世の中では、ユダヤ人も他の人々と同様の民族自決権を持っていることは間違いない。

だから私は、左派の多くの人がパレスチナの旗を手に、まるで呪われた言葉でも吐くように「シオニスト」と口にするのは異常だと思う。シオニストが極端な帝国主義と同意語になったように思えてしまう。すると、もしあなたがシオニスト(そして、「ユダヤ人は皆シオニスト」)であれば、明らかにブッシュやブレアを支持し、ユダヤ人の利益のために世界を支配する地球帝国主義を計画していることを意味する。しかし、これは事実に反するだけでなく、シオニストが他のどんな民族主義と比べても最悪であることを意味する。万が一、民族主義は本質的に人種差別であるから問題だと考えているのなら、あらゆる形態の民族主義や植民地計画に抵抗すべきで、特にシオニストだけに注目して取り上げることはない。


左派の恐怖と嫌悪

英国のユダヤ人は、典型的な抑圧された少数民族に見えないため、この国でのユダヤ人の危険について私たちが感じる真の恐怖は見逃されがちである。私が子どもの頃は、シナゴークが使用されている時は、常に当番の親たちが守っていた。現在では、多くのユダヤ人施設が警察、有刺鉄線、ケーブルテレビ、インターホンで守られている。住人のほとんどがユダヤ人であるロンドンのゴールダーズ・グリーンの周辺を歩いていて、突然ゾクッとする恐怖感に襲われるユダヤ人は、私だけではない。「ここにいる我々は、憎悪を抱いた攻撃の対象となりやすい」。この国では、亡命者とイスラム教徒への人種差別の方が激しいことは知っている。しかしだからと言って、私が抱える人種差別へのわだかまりや経験したことを軽く考えて、我慢しろと言うのだろうか?

しかし、左派の中に、いかなる反ユダヤ主義の話に対しても、それはパレスチナ西岸とガザへのイスラエル政策に対する批判をかわすための都合の良いごまかしのきく戦略だと直ちに拒絶するグループもある。また、ユダヤ人が反ユダヤ主義的扱いを受けたと申し立てても、アラブを除くことについての意味論上の議論[訳注*]となるか(これが、そもそも「ユダヤ人嫌い(Judeophobia)」という言葉の方を好んで使う理由)、ユダヤ人だけが戦争や迫害の犠牲者ではないという話が持ち出されることは予想できる。反ユダヤ的な発言に対し、私はたった1度だけ直に反論したことがある。その時、相手は疑いの眼差しを私に向けてこう言った「何言ってるの? あなたこそ人種差別主義者だわ!」

この複雑な論争に入り込んでしまうと頭を抱えたくなるが、対極にある占領賛成派ユダヤ人と「反シオニスト」が、まさに同じように振舞っていることに気づき始めるだろう。互いの意見を聞かず、感情的な言葉に訴え、相手の痛みを軽視し、相手が悪魔であるかのように印象づけ、陳腐な対応に終始し、都合の良い事実を選んで取り上げ、「ユダヤ人」や「パレスチナ人」を目に余るほど大まかに一般化する。ベルファストのある場所では、カトリック教徒の地区でパレスチナの旗を見せびらかし、プロテスタント側ではイスラエルの旗を掲げていると聞く。自分たちの対立を浮き彫りにするため、よく分かりもしない紛争のイメージを使う者がいるのだ。そんな状況にはまってしまえば、現実の人々について話していることを忘れ、深い痛みを引き起こしがちな人々の宗教、歴史、アイデンティティに異議を唱えていることにも気づかず、自分の考えをオープンにするよりも、むしろ閉ざして身構えてしまうという結果を招く。

ユダヤ人たちは、最近の悲惨なショアをはじめとする何世紀にも及ぶ迫害の産物とでも言うべき行動パターンを、保ち続けてきた。これらのパターンには、恐怖、過剰な防衛意識、怒り、二度と犠牲者にはならないという決意が含まれている。もしも攻撃されたと感じれば、私たちはただパターンに従って行動するだけだろう。もしも左派がユダヤ人嫌いを深刻な問題として受け止めなければ、パレスチナ人の正義を目指す闘いを支援しようとする数多くの潜在的な協力者を失うことになる。さらに、キリスト教シオン派といった偽りの味方の側へ、私たちを押しやることにもなるのだ。

他方、連帯の小さな行動が与える影響には驚くばかりである。非ユダヤ人がユダヤ人嫌いの横断幕を引っ込めた2003年2月15日の反戦デモで、私は大きな信頼と安心を感じた。と同時に、反ユダヤを掲げる人種差別主義者との闘いは、もはや私だけの闘争ではなくなった。

イスラエル/パレスチナ闘争が、なにもユダヤ人のすべてではない。私は、人々がユダヤ文化を尊重するのを聞くと心が躍る。私にとって、また他の多くのユダヤ人にとって、公正な中東和平のための運動をすることは、私たちのユダヤ人らしさ、宗教へのプライド、ユダヤ人のアイデンティティである音楽、食べ物、芸術、文学、象徴、言語の持つ多様性を再び呼び起こしてくれるのだ。私が暮らす社会でも、単に私をパレスチナ占領政策に立ち向かう「善良な」ユダヤ人としてではなく、私の持つ多面的なユダヤ人らしさをたたえてくれる時代が訪れることを期待している。


Lucy Michaels
オックスフォードを中心に活躍する平和活動家で、Corporate Watchの研究員。


訳注*
「Semitic(セム系の)」という言葉は、アラビア語とヘブライ語を含む言語族を示す。このため、ant-Semitismと言った場合、反ユダヤであると同時に反アラブでなければならないと主張する人々もいる。

 

訳: 松並敦子



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