動き出したドラマ

A drama unfolds
(New Internationalist No.373
November 2004 p22-23
)

 

ウルグアイが中絶に関する革新的な法律を可決するのは時間の問題だった。それは、ラテンアメリカ全体のモデルとなるものだった。しかし、事態は悪い方向に進み始めた……。望みを捨てずに続くその闘いについて、ハーシリア・フォンセカとパトリシア・プジョールが報告する。

16歳のフラビアは、まだ夜中に授乳を要する6カ月の赤ん坊の母親である。ある日フラビアは、生理が遅れたためまた妊娠したのではないかと不安になった。性教育を受ける機会はおろか、中絶の相談を受けるすべも持たないフラビアにできることは、持っていた堕胎薬を膣に挿入することだけだった。この1時間後に病院で彼女の治療にあたったロザリオ・エチャーグ医師はこう話す。「彼女は腹部の痛みを訴え、激しい下痢と嘔吐を繰り返していました。顔面は蒼白で、体は震え、自分の身に何が起きているのかも分からない様子で、ただおびえるばかりでした」

結局フラビアは、薬の中毒が原因で死亡した。さらに悲しいことに、彼女は妊娠していなかった。(1)

このようにして死亡する若い女性はフラビアだけではない。中絶は、ウルグアイでは違法にもかかわらず、妊婦死亡原因のトップなのだ。2002年に行われた調査では、1日当たりの中絶件数は90件と報告されているが、これは控え目な数字のようである。(2)

実際この10年間は、ウルグアイの深刻な経済危機のあおりを受け、自分で密かに中絶を行う女性の数がかなり増えている。「ウルグアイの中心的な産科病院、ペレイラ・ロッセル病院での妊婦死亡事例のうち47%が危険な中絶に起因したものである」と語るのは、「性と生殖に関する権利」の専門家、リリアン・アブラシンスカスである。(3) こうした事例の割合は、ウルグアイ全体で27.7%、ラテンアメリカ全体では24%、そして世界の他の地域では13%である。(4)

左派の上院議員アルベルト・クーリエルによれば、「こうした死亡事例1人に対して、その陰で50人の女性に消えない傷跡が残り、むごいことに再び子どもを産むことができなくなる。そしてまた100人の女性が慢性の腹部や子宮の痛みを抱え、1,000人の女性が痛みなどの症状に苦しんでいる」

ウルグアイは、多くの点で女性の権利擁護に関して最前線を歩んできた。1913年に女性の離婚の権利が認められ、1932年には女性の参政権が認められた。しかし、「生殖の健康」に関する法律は、もっとあいまいなものだった。ラテンアメリカ地域では、キューバ、ガイアナ、プエルトリコといった例外を除けば、中絶は今なお違法行為とされている。ウルグアイの現行の中絶法は1938年に施行されたもので、最高6年の禁固刑を科すものである。ただ、そこには例外もあり、レイプによる妊娠、出産時に母体が危険な場合、また奇妙なことに「男性の名誉を傷つける」場合も中絶が認められている。

今日では、女性に刑罰が科せられることはめったにないが、中絶で女性が死亡した場合、中絶を行った診療所の責任者が投獄されることが時々ある。しかし、この時代遅れの法律により、中絶に関するすべての過程が人目にふれず処理されるようになった。また、この法律は、「中絶は道徳的な罪」という概念を拡大解釈した「中絶は犯罪」という認識を強めるものである。

1960年代初頭、ウルグアイの中絶率の高さは世界でも上位を占めていた。そして1995年には避妊が合法化された。現在、女性には避妊具が無料で配布されているが、その量は足りていない。また、避妊教育プログラムも十分とは言えない。現在、割合で言えば、正常出産1件に対して中絶が1件行われていると推測されている。他国の例からも明らかなように、中絶を処罰の対象から外すと、中絶数は減少する。さらに、そうすることで中絶で死亡する女性も減るのである。

ウルグアイでは、1995年から2000年にかけて、中絶を処罰の対象から外すための4つの異なる試みが議会承認の手前まで行ったが、すべて否決される結果に終わった。原因は、その中身が、家族計画に関する国を挙げた教育や支援を行うといった広範なプログラムではなく、中絶だけに焦点を当てたものだったことが一因にあると言われている。

1998年には、新しい法律の可決に向け大きな力が動き始めた。そして2002年12月、女性団体、学術界、医療業界、市民社会団体による数多くのロビー活動の結果、ついに下院で法案に対する投票が行われた。結果は賛成47、反対40、棄権10であった。妊娠中絶合法化支持の運動にとって、これは歴史的な勝利と言える。

しかし、上院での通過がまだ必要だった。女性団体は、上院議員の過半数が賛成票を投じると約束したと主張していた。しかし、下院での勝利により、かつてないスケールで妊娠中絶反対の力が国内と国際社会で動き出した。

まずカトリック教会は、その法案に賛成を投じた議員のリストを公開し、日曜日のミサで回覧した。モンテビデオの大司教ニコラス・コトゥグノは、中絶を「殺人」、「忌まわしい犯罪」、さらには米国の9月11日のテロ攻撃に匹敵する行為だとまで述べた。彼の中絶批判があまりにも過激で一触即発な内容だったため、カトリック教会内部でもあつれきが生じた。

それから、2004年4月の終わりには、米国の共和党上院議員6人が、アルベルト・クーリエル議員にワシントンからファックスを送った。「中絶行為は子どもに対する暴力である……生まれる前の子どもの殺人を、31年前に合法化した国の中絶合法化反対議員として、ぜひともあなた方にはこの法律に反対の票を投じ、国民投票に委ねないようにして頂きたいと願います」。ウルグアイの上院での採択は、反対17、賛成13、棄権1という結果に終わった。

しかし、ウルグアイ社会全体で見れば、この法案は驚く程の支持を集めている。2004年4月のMORI(国際市場世論調査機関)調査によれば、人口の63%がこの法案に賛成しており、その数字は年々増加している。今日では、ほぼすべての部門で、中絶は倫理的な問題であるだけでなく、公衆衛生にもかかわる問題だと認識されている。医療専門家を含む多くの異なる方面から支持が寄せられている。産婦人科の教授を務めるアニバル・ファウンデス医師はこうコメントする。「禁止によって社会問題が解決されることはありません。この法案は中絶の原因に焦点を当てています……私はこの方向性が非常に良いと考えます」。権威のあるウルグアイ医療組合は、「現状は劇的で、承認できるものではない」と発表している。

政治レベルでは、どの政党も女性議員が中心となり活動を進めている。草の根レベルでは、若者や地方の女性ネットワークが、広報担当者をトレーニングしたり、会議を開いたり、報告書を書いたり、街頭宣伝を行ったりして法案支持のため活動しいる。

そして、そこにさらなる圧力が加わった。2004年8月6日厚生大臣は、危険な中絶による死亡者数を減らす目的で、医師が中絶を望む女性にアドバイスを与える措置を認めたのだ。これにより、中絶が違法であることに変わりはないが、この地域で初めての措置となる新しい一歩が踏み出された。

法案を支持するフレンテ・アンプリオ党代表、ジョルジュ・ブロベットーは、党は「性と生殖に関する権利獲得に向けて闘っていく……」と最近語った。どの世論調査も、2004年10月の国政選挙でフレンテ・アンプリオ党が勝利する可能性を示している。ウルグアイは、ラテンアメリカで初めて女性に選ぶ権利を与える国家になるかもしれない。

 

ハーシリア・フォンセカは歴史学教授(hersilia@internet.com.uy)、パトリシア・プジョールはジャーナリスト(lapaty@adinet.com.uy)である。二人ともウルグアイのモンテビデオを中心に活動している。

(1) Health Senate Commission, 16 August, 2003.
(2) Rafael Sansiviero, Centro Internacional de investigacion e informacion para la Paz, Universidad de la Paz de Naciones Unidas (IIIP-UPAZ). Montevideo 2003.
(3) Lilian Abracinskas is a feminist, member of Cotidiano Mujer; an expert in sexual and reproductive rights, co-ordinator of MYSU (Women and Health in Uruguay).
(4) Unsafe Abortion, WHO, Geneva, 1998; Ministerio de Salud P?blica, Montevideo, Uruguay, 2001.

 

訳: 松並敦子



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